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日: 2021年5月10日

焼き芋プロジェクト

焼き芋プロジェクト

ラビ・エデリーは2011年3月11日をこのように思い返します。

「金曜日の午後2時46分に津波が日本を襲った時、私達の家も地震で激しく揺れていました。何が起こっているのか把握することが出来ませんでした。ハバッドハウスを訪れた人々により、私達は東北地方が津波と大地震に襲われ、甚大な被害を受けたと知らされました。土曜日の晩、東北を思いながら直ぐに旅立ち、私達の持つ全てのものを分配しました。しかし東北への道が地震の被害を受けていたので、東京へ戻る道中にガソリンスタンドが営業していないことに気づきました。私達は幸運なことに、福島に住む母親を訪れたラーメン屋の店主の乗用車で、東京の五反田駅まで乗せてもらいました。五反田に着いた時は既に真夜中で、(ハバッドハウスの位置する)大田区山王までは徒歩で帰らなければなりませんでした。」

五反田駅の側に立っていると、ラビ・エデリーは「美味しい焼き芋」とスピーカーから放送する、焼き芋屋のトラックを見かけました。ラビは焼き芋屋の運転手に東北まで運転する事は可能か、と聞きました。運転手は突然の提案に躊躇し、その申し出を断りました。それに対しラビは多額の給与を支払うこととさつま芋を全て提供することを約束しました。運転手は申し出を承諾し、ラビは彼に前金を支払い、東北に到着した後に残りの給与を支払う事を伝えました。

その日から、ラビ・エデリーは多くのさつま芋を購入し、何ヶ月もの間、仙台市や岩沼市、亘理町、石巻市など東北中を移動し、焼き芋を無料で配りました。人々は東北の凍えるような冬に馴染み深い焼き芋への愛情を示し、喜び、快適さ、そして希望を表しました。

毎朝、ラビとスタッフは早くに起床し、何百ものさつま芋をトラックのオーブンで焼きました。8時には避難所の被災者に配り、何度も焼き芋を作りました。しかし1つのオーブンでは足りないことが分かり、ラビは周辺地域の全ての人に行き渡るように2つのオーブンを追加で購入しました。

温かい焼き芋は震災時において被災者の心も温める食べ物でした。高齢者は美味しく食べ、母親は温かく栄養価の高い焼き芋を子供達に、そして自分も含めて食べられることを感謝していました。手軽な食べ物であるにもかかわらず、瞬時に人々の心を温める様子はまるで魔法のようでした。

この活動はラビが震災下に行った最も独創的なプロジェクトでした。焼き芋を配っている最中、1人の子供がラビに駆け寄り、「僕が将来何になりたいか知ってる?将来は焼き芋やさんの運転手になりたい!焼き芋屋さんになったら皆んなに食べ物を配って、幸せにできるから!」と笑顔でラビに言いました。宮城県知事はラビ・エデリーと彼のスタッフに感謝の意を表しました。

配布センター

配布センター

ラビ・エデリーは東京から東北へ、毎週毎週、何か月間も、とんでもない量の支援物資をもっていきました。具体的には、2トントラックをレンタルし、週に2回、支援物資を満載して東北に持っていき、避難所にくばりました。

いったいどうやって支援物資をあつめて、そしてくばったのでしょうか?

ラビ・エデリーは、人々が寄付の品を入れる大きなバスケットをお店の外に置くよう、ナショナル麻布にお願いしました。バスケットのひとつは衣類、ひとつは保存のきく食べ物、もうひとつはその他の品です。人々はとてもたくさんの支援物資を持ってきました。東北へ送るまでの間、お店の倉庫を使わなければいけなかったほどの量です。

ラビ・エデリーとボランティアたちは週に2回、夜に来てその品々を2トントラックに積み込みました。たくさん集まったので、荷物を積み込むのには結構時間がかかりました。

彼らは夜通し運転して東北に向かいました。そして宮城県の岩沼に朝の4時や5時に着きました。

岩沼には友達のご両親の家があって、そこで荷物を降ろして整理しました。

女性もの衣類、子ども用衣料、くつ、コート、タオル、食べ物、ベビーフード、衛生用品、電気製品、毛布、せっけん、シャンプーなどなど、物資の仕分けに町からチームがやってきてくれました。ラビ・エデリーと友人たちは彼らのための手配もしました。

そして、政府の人、区役所や市役所の人たちがそれらの物資を持っていきます。これらの人たちはいろんな場所からやってきます。なので、それぞれの町と、いつ物資を取りに来るのか、事前にきちんとスケジュールを立てておかないといけません。

荷下ろしと整理は、もっと作業がしやすいように、市の劇場ホールで行われることもありました。

物資は、人々が必要なものやほしいものを選べるように、きちんと整理されました。

それは一見、市場のように見えました。ただし、無料であることを除いては。このシステムが出来上がり、人々はとても喜びました。彼らが一時的にいる場所で必要なものを得るのに素晴らしい場所だったからです。その頃お店は空いていませんでした。商売のトラックは道路が壊れているため東北までたどりつけませんでした。被災者支援の人たちだけが、警察から高速道路を使う許可をもらえたのです。ラビ・エデリーはこの許可を得て、彼と彼のスタッフが支援物資を配る、この途方もない仕事をできるようにしたのです。

アジアのラビたち

アジアのラビたち

ラビ・エデリーは東北に自ら運転して向かう時はいつも、ハバッドハウスのスタッフ、メンバー、その他ボランティア達を一緒に連れて、いくつものボランティアグループを組織しました。日本人の学生や友人や、素朴に「被災者を助けたい」と思った人たちです。

アジアには多くのラビたちがいます。皆、ラビ・エデリーの同僚たちです。彼らも日本の大災害のことを聞き、自分たちでボランティア組織を運営しました。彼らは日本に来てサポートしたいと思いました。ラビ・エデリーは彼らの飛行機、宿泊、食べ物を手配しました。

インド、スリランカ、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンのラビたちが、みなラビ・エデリーの被災者支援に加わりました。彼らは東北に車で向かい、避難所などで大量の支援物資を配り、人々が希望と心の支えを持てるよう支援しました。彼らはメッセージをたずさえてきました:私たちは見た目はちがっていても、みな心を持っていて、大切にされる必要があり、互いに支援する責任を持っていると感じるものです。私たちはみな、全能の創造主につくってもらった同士なのですから。

ラビたちは抑うつや困難を抱えた人々をどのように助けるかの計画を練るためヒルトン新宿で会議をしました。

大和魂Tシャツ

大和魂Tシャツ

日本に長く住んでいるハバッドハウスのメンバーの1人であるラビ・エデリーの友人が支援活動を知ることになりました。ラビは彼にも支援に参加するよう呼びかけました。その友人は自分でデザインし製作した服を店舗とネットで販売していました。彼は大量の自作ブランド商品をラビと共に、東北の人々に配布しました。

その友人は未来への希望を込めたメッセージをTシャツにプリント製作しました。Tシャツの前側には、「Strong Spirits Rebuild Japan (強い心で日本を復興しよう)」と書き込まれています。Tシャツの背中面には「Save Electricity, Save Gasoline, Save Water, help each other withYamato Damashi(「節電、ガソリン節約、節水、大和魂でお互いを助け合おう」)」のメッセージがプリントされています。(福島第一原発事故の影響により放射線の被害が拡大していたため、日本人の強固な精神性「大和魂」で状況を乗り越えられるとの考えたからです。)

このTシャツは大ヒットし、救援活動や催し行事などで着用されました。このTシャツを通して、「皆で力を合わせれば震災の被害を乗り越えられる」という強い連帯感が生まれました。

ビバリーヒルズでの寄付集め

ビバリーヒルズでの寄付集め

救援作業には、多額の費用がかかりました。ラビ・エドリーは、1億円もの費用をどうやって捻出したのでしょうか。それは、とても独創的な方法でした。まず、できるだけたくさん、関わってくれる人を集めました。ボランティアの人たちはそれぞれ、自分のネットワークにコンタクトして、必要な資金を集めました。人々は驚くほど多額の寄付をしてくれましたが、中でも、世界中のユダヤ人コミュニティから寄せられた金額はかなり大きなものでした。アメリカやイギリス、イスラエルから、次々と寄付が寄せられました。 

ラビ・エドリーは、お金を集めるための素晴らしいアイデアを思い付きました。ビバリーヒルズに住むラビの友人のユダヤ人が、資金集めのディナーを開くことを提案してくれたのです。ラビは日本酒の獺祭を提供し、獺祭の社長もこのディナーに参加して、日本酒を宣伝し、寄付を募りました。ラビ・エドリーは、カリフォルニアにある日本製品輸出入会社、日本製品を数多く輸入していたミューチュアル・トレーディングの社長も招待しました。_社長も参加し、ラビ・エドリーが日本の人々を助けようと多大な努力をしていることや、その救援活動に非常に感動したと言って、かなり多額の寄付をしてくれました。大勢の人が活動に感銘を受け、東北の人たちのために募金をしてくれました。

なぜラビが救援しているのか、それは日本政府の仕事ではないのか、と訊かれると、ラビ・エドリーは、人々が助けを必要としていたら、他人が動くのを待つのではなく、すぐに、助けるためにできるだけのことをしなくてはならないのだと答えました。

必要な資金が集まったので、ラビ・エドリーとスタッフは東北の多くの人々やコミュニティのために、必要とされている支援や救援の多くを達成することができました。